【本編】ハコニワ 1-3

3

陽も傾き、夕暮れが近づいてきた頃。
読みかけだった本を読み終え、群雲は階下に降りてくる。
1階の一画は食堂が設けられている。群雲はカウンター脇から厨房に入り、自分用に貸し出されている棚から茶葉とポット、カップを2客取り出す。
湯を沸かし、ポットに茶葉を入れてラズベリーのジャムを取り出した時だ。
「ただいま!」
勢いよくドアが開けられる。背負い袋を背負った璃緒だった。
「おかえり。そろそろだろうと思っていた」
ポットからお茶を注ぎ、香ばしい香りのクッキーを数枚、皿に並べて差し出す。
「ほえ?wisもしてないのに?」
お茶とお菓子の並べられた席に腰掛け、クッキーを頬張る璃緒。
「物を口に入れたまま喋るな。勘だ。そして、単細胞の思考は概ね分かりやすい」
「単細胞は余計〜」
璃緒は狩りに出掛けると、何らかの事情がなければこの時間に戻って来る。
ほぼ毎日顔を合わせる隣人の生活パターン。なんとなく体感的に分かるのだ。

斜陽亭はごくまれに短期滞在者が来ることがあるが、大体璃緒と群雲、そしてオーナーの泉水の3人で暮らしている。
宿屋というが、実質的には寮のような状態で、なんとなく互助機能が生まれている。
所有物は各人の財産だが、こうして食事を共にすることは日常的な風景である。
群雲は、独り暮らしを求めて実家を出、ここにたどり着いたが、こういう暮らしも悪くないと最近は思うようになった。
「そういえば、ねぇ群雲」
不意に思い出したように問いかける璃緒。
「なんだ?」
「紅騎とソフィアさんがどこか行っちゃったんだって」
「らしいな。まああの人たちのことだ。あまり心配してない」
「あー、やっぱり教会でも騒ぎになってるんだ?」
「司祭様はカピトーリナから依頼があったと言っていたがな」
「長老たちも心配性だなあ」
「数日もすれば見つかるかふらっと帰って来るだろうし。適当に言っておくさ」
「だね」
と、璃緒がクッキーを飲み込もうとお茶のカップに手を伸ばした時だ。

ドオン!

「!」
鈍い音と共にビリビリと宿の柱が震える。
「なんだ!?」
慌てて外に飛び出したふたりの目に映ったのは......

「......グリフォン......!」
巨大な翼に鷲の頭。しかし胴は獅子のような四本足の獣。
時折冒険に出ると遭遇するその姿に見間違いはない。紛れもなくグリフォンであった。
「枝......?」
群雲は呟く。古木の枝。魔力を秘めたその枝は魔物を喚び出す力がある。
でも、なぜ?
グリフォンは目の前に現れた人間に威嚇の声を上げる。
襲撃の空気を感じ自然とふたりは臨戦体勢に入る。
「来るよ!」
グリフォンがかん高い鳴き声をあげ、地を蹴った。

着地ざま振りおろされた前足を紙一重でかわす。
石畳がバキッと鈍い音を立て、砕かれた破片が飛び散る。

「しのげるか?璃緒」
群雲は間合いを取り、逆にその場に踏みとどまる璃緒に叫ぶ。
「1体ならなんとか!」
璃緒は手を前に突き出し念を込める。
ぽわっ、という音とともに淡く光る光球が全部で5つ。自らの周囲を取り巻くように現れる。
その光球を璃緒はすくい取るようにして手の中に捉え、ギュッ、と両手でひとつにまとめるように握りしめる。
と、同時に手の隙間から弾けるような音と共に雷光が腕から肩に駆け上がり、そして全身を取り巻く。
「準備万端。......さぁ、おいで」
全身に雷光を纏った璃緒はにこりと微笑む。甲高い鳥の鳴き声と共に横殴りに襲うグリフォンの前足。合わせて一歩後ろへ足を引く璃緒。しかし、延ばされた爪を避け切る間合いには遠い。
ごすっ、という鈍い音。
「!」
まさかやられた!? と群雲は目を凝らす。
しかし......
「ギャア」
叫びをあげたのはグリフォン。じりじりと一歩二歩下がる。前には確かに爪に捉えたはずの璃緒が拳を突き出していた。
「こんなところにいきなりよばれて、君にはとんだ災難かもしれないけど......。お宿が壊れたら泉水がびっくりするんだ。だから、おとなしくすみかに帰ってもらうね」
今度は璃緒の方が間合いを詰める。その後ろから追うように紡がれる聖句。
「まったく、貴様の戦い方は心臓に悪い!」
祝福を、速さを、そして守りの加護を。神へ祈り、その力を目の前の璃緒に付与する。
「だってそんな華麗に避けるとか無理!」
威嚇の鳴き声を上げ振りおろされる爪。カキン!という乾いた音を立てて弾き返される。
群雲が付与した魔法の防壁がグリフォンの爪を弾いたのだ。
意図せぬ壁の存在に怒りの雄叫びを上げ、強固なくちばしから防壁に突っ込んでくる。
「わ!!」
巨大なグリフォンの体当たりに耐え切れず、カシャン!という音と共に防壁は粉々に砕け散る。防壁が作ったわずかな隙に身を翻し、直撃を避ける。


そして、体勢を立て直した璃緒は、グリフォンに対して肩を前にし、斜に構える。そして、繰り出される爪の先端に意識を集中させる。
爪の動線を読み、ほんのわずか、姿勢を変える。
直撃を避けられるよう、そして極力ダメージの少なくすむような部位で、爪を受け流す。爪の切っ先が璃緒の皮膚に触れるか触れないかという瞬間、自らの身に纏う気の鎧がその勢いを押しとどめ、あとに残るのはわずかな引っかき傷のみ。金剛、と呼ばれるモンク特有の能力の一つである。
攻撃を受け流され、グリフォンは前に重心が傾く。その鼻先に璃緒はフィストという手甲をはめた右拳を叩き込む。
「ギャン!」
急所を傷つけられ悲鳴をあげるグリフォン。背中の翼を大きく羽ばたかせる。
「わっ」
全身に叩きつけられた突風に体勢を崩す。
「カッ」
すかさずグリフォンが大きく口を開く。青い光が一瞬閃く。
「!」
風の属性攻撃!とっさに群雲が防壁の聖句をつむぐが間に合わない。
耳をつんざくような破裂音と目に見えない風の刃が璃緒に襲い掛かる。
「いたたた......」
気の鎧で大半は凌げたようだが、それでもかなりのダメージが抜けてしまう。身体をかばった腕からじんわりと血が滲む。
「大丈夫か?」
璃緒の近くに駆け寄り、聖句をつむいで璃緒の腕に手をかざす。淡い光が腕に溶け込み、傷口が肌に溶け込むように消える。
「属性攻撃はさすがに痛いねぇ」
言葉の内容と裏腹に璃緒はとても楽しそうな笑みを口許に浮かべる。
「あまり油断すると足元すくわれるぞ」
再び璃緒に防壁の魔法を付与し、群雲は呆れた顔をする。
「大丈夫!群雲が支援くれてるし!」
にこっと笑って、グリフォンの前に駆け出す璃緒を見、
「支援はしない」
と、群雲は小さく答える。
「だが、斜陽亭を守るという目的は同じ。利害の一致だ」魔物と真っ向から対峙する隣人がより安全に戦えるよう、群雲は神に勝利を祈る聖句をつむいだ。

「......あれは?」
プロンテラでの仕事を終え、泉水は愛ペコに乗り、自宅である斜陽亭ヘの道を歩いていた。
家が見えてきた頃、轟音と異変に気づく。
「......グリフォン!」
なぜこんなところに!?
そして、その前には見慣れた宿泊客兼同居人である璃緒と群雲。
「ぺこら!行こう!」
乗っていたペコの手綱をゆるめ、走らせた。