【本編】ハコニワ 3-1

グリフォンの襲撃があって1ヶ月。その間は何事もない日常が続いた。あれは何かの事故みたいなものだったのだろうか......と思いはじめたある日。

「......三色ハーブを用いた料理......レッケンベル出版......。ここが出したときくとつい物騒なものができるのかと思ってしまうな」
ゲフェン教会の奥にある書庫。群雲は読み終えた本に代わる本を探しに来ていた。
教会の書庫には神に関するものに限らず、実に多彩な書籍が収蔵されている。聞けばこの教会で特に権力を持つ司祭の家が、聖職者たるもの人々を導くにはより広く、深い知識を持つべきだと収集、寄贈してきたのだそうだ。
(ゲフェンの聖職者らしい考え方とも言えるかもしれないな)
ゲフェンは別名魔法都市とも言われており、魔術師達の研究施設、ゲフェンタワーは町の象徴だ。
彼らは知識欲が強く、暇があれば部屋から出ることもなく読書をしている......という者もいるほどだ。
群雲は家の事情でプリーストとなったが、出来るものならウィザードかセージになりたいと考えたことだってある。いや、出来ることなら今からだって......。
そんな考え方もあってこの司祭の思想にはどこか共感できるものを感じていた。この発案者に一度会ってみたいと上司のソフィアに言ってみたこともあるが、既に他界しており、会うことは叶わなかった。

「......ん?」
書庫の一番奥まで来たとき。普段は扉がしまっている部屋があるのだが、今日は微かに扉が開いているようだ。
それを見た群雲は不意に強い好奇心に駆られる。あそこは主に入り切らなかった書籍や貸出できない、所謂禁帯出の書籍が納められている、と書庫管理のプリーストが言っていた。
「......」
一体中にどんな本があるのだろう? だが、もし素直に書庫管理に言ったら恐らくは中を見せてもらえることなく鍵をかけられるのではないだろうか......。
フラフラと吸い寄せられるように扉に近づき、音を立てないように扉の奥に入り込む。

窓は小さく、部屋全体は昼間であるはずなのに薄暗い。そして、ずっとそこの空気は入れ替わることが無かったかのように淀み、古い本特有のにおいが微かに漂う。
管理者さえ殆ど立ち入らないのだろう。壁際におかれた棚はうっすらと埃が積もっている。
「............すごいな、これは」
書架に並ぶ本の数々を見、群雲はため息をついた。
魔法、この世界にすむ生物、神話......、もう、絶版となっているといわれる本のタイトルが至るところに見える。大きさはプロンテラやジュノーの図書館には到底及ばないが、その密度は群雲の目を釘付けにするには十分なものだった。
おもわず、手近な一冊に手を伸ばす。
一冊の本をソロソロと引き出したとき。

ぱさり

何か、薄いものが一緒になって引き出され、床に落ちた。
「?」
それを拾い上げ、表紙を見る。
「退魔師団......グラストヘイム調査報告書......?何故こんなものが......」
作成日を見れば今から約2年前の調査のものらしい。
自分自身が籍を置く部署の調査書。確かにグラストヘイムの調査は頻繁に行っており、多数の調査書が作成されているが、こんな所に何故紛れ込んでいるんだろう......?と、群雲はパラパラと中身をめくる。
「カタコンベの調査か......」
その中には当時の師団が教会の司祭候補のプリースト達によるカタコンベ調査を行うため、護衛として同行したという経緯が記されていた。
更に読み進めた群雲は、最後の方で手を止め、何度も読み返す。
「ダークロードと思しきモンスターにより調査団と当時の退魔師団は壊滅......? 唯一の生存者である......」
「そう。その唯一の生存者もまた、この調査書を作るための審問の後に失踪。事件のすべては闇の中......ということなんだ」
「!!」
不意に、背後からの声。群雲は咄嗟に距離を置き、振り返る。
「やあ、名前を知らないプリースト君。こんな所へどんな本をお探しに?」
そこにはいつの間に立っていたのか、ハイプリーストの男が立っていた。ニコニコとほほ笑んでいる。
「司祭様、申し訳ありませ......」
この書庫の管理者か何かかと弁解をしようとした群雲は、その男から漂う気配に眉をしかめる。
「いや......、貴様は、何者だ......」
「おや、勘の良いプリースト君だね。身のこなしといい......冒険者上がりかい?」
クスクスと笑うハイプリースト。燃えるような真っ赤な髪、そしてその瞳も血のように赤い。その目に映る光は明らかに人ではない異様な気配を漂わせていた。
「く!」
懐からブルージェムストーンを取り出す。丸腰のマグヌスエクソシズムでは心許ないがやらなければやられる、そんな気配を感じていた。
「おやおや、書庫で暴れるのは頂けないな」
短く、小さな声で何かを詠唱するハイプリースト。同時に群雲は喉が押さえ付けられるような感覚を覚えた。
(沈黙の魔法......!?)
1ヶ月前、同じ感覚を受けたことを思い出す。そう、あのグリフォン襲撃の時だ。
「......(貴様は先日斜陽亭を襲った奴だな何者だ......)」
「おやおや、怖い顔だねぇ。大丈夫だよ。ちょっとした質問に答えてくれさえすれば何もしないからね」
ゆっくりハイプリーストは群雲に歩み寄る。じりじりと後退する群雲だが、程なく背中に冷たい石壁の感触が当たる。
近寄ってきたハイプリーストがねっとりした手つきで群雲の頬に触れる。
その手は氷のように冷たく、そして......むせ返るような血のにおいがした。
「君は......あの宿の住人だろう?」
「!?」
「璃緒、という男を知っているね......?」
璃緒......!? この男は璃緒の事を知っているのか? 一瞬目を見開くが、明らかに異様な相手の気配。うかつに口を開くわけにはいかない。
「............」
「俺はね、彼に用があるんだ。前はちょっとお使いを出したのだけど追い返されちゃってねぇ......」
「あのグリフォンは貴様の差し金か......」
斜陽亭を襲ったグリフォンを思いだす。沈黙の魔法で掠れた声しか出せないが、明らかな怒気を含んだ口調で群雲は答える。
「ああ、そういえばあの時君もいたのだったか......?」
顔を覗き込み、クスクスと笑う。
「そうだ、君は璃緒の手助けをしていたのだっけ......? 質問に答えてくれれば何もしないでいてあげるつもりだったけど......。ちょっと気が変わったよ。あの時のお礼もしておかないとねぇ......」
ゆっくりと群雲の髪を弄っていたハイプリーストの手が頬から喉元へ下りていく。
殺気を感じた群雲も右拳を固く握り締める。
「そこで何をしているのですか!」
書庫に響く声。同時に慌ただしい足音。
近付いてきた者を確認しようと顔を後ろに向けるハイプリースト......。
「ホーリーライト!」
群雲は、自分から注意が外れた一瞬のスキを見逃さなかった。固めた握り拳をハイプリーストの胸元にあて、念を込める。まばゆい光が辺りを包む。
「む......!?」
不意の攻撃に思わず身を引くハイプリースト。そこに駆け寄ってきたのは......。
「ソフィアさん......」
「あなた、何をしているの?」
「それは......」
群雲の顔を確認すると、ハイプリーストの方に視線を向け......。大きく目を見開く。
「あなた......フォレスト......」
「ソフィアさん、知り合い......?」
「2人がかりでは少々分が悪いね。今日のところは引こう。プリースト君、また会うこともあるだろう......彼の近くにいる限り、ね」
すぅ、っと影に溶け込むようにフォレストと呼ばれたハイプリーストの姿が消えていく。
「待って! 私はあなたに聞きたいことが......!」
ソフィアが声を上げる。しかし、ハイプリーストの姿はもはやそこにはなかった。
「ソフィアさん......」
いつもニコニコと余裕と自信に満ちた表情のソフィアからは想像もつかない程その顔からは血の気が引き、ただただハイプリーストがいた場所を見つめたまま動かない。
「ソフィアさん!」
やや強めに群雲は声をかける。はっとしてソフィアは群雲の方を向く。
「あ......ええ、何かしら?」
「あの男は......いったい? 知り合いなんですか......?」
「............」
やや答えに迷っている表情をしたソフィアは、群雲の手に握られた紙束に目を留める。
「あなた......それ......。見てしまったの......?」
「......」
小さくこくり、とうなずく。そして、
「教えてください、ソフィアさん。この調査書には......」
「それ以上は口にしてはいけないわ」
ソフィアは自分の口元に指を当てる。
「見てしまった以上、あなたには話さなくてはならないわね......。良いわ、これもオーディンの思し召しなのでしょう。......とにかく部屋に戻りましょう? 面倒な書庫管理が来る前に」
ソフィアの顔はずっと、重く、重大な何かを抱えているような表情だった。普段とは明らかに違う雰囲気に、群雲はただ無言でうなずくだけだった。