【本編】ハコニワ EP そして物語は一つ終って......

ラヘルの渇いた空気と砂が喉にまとわりつくのもおかまいなしに璃緒は走る。
「サリナ!」
ある司祭の家の庭。そこには一人の少女が鳥達と戯れていた。
あの日と変わらない。蜂蜜のような金をたたえた髪、鳥達に向ける優しい眼差し。
庭を訪れた客人に気づいた彼女はしばらく呆然とした表情で見つめていたが、ふらふらと立ち上がる。
なにかを告げようと口を動かすが、そこから音が発せられることはない。
しかし、璃緒にはわかった。
「そうだよ。君を迎えに来たんだ」
少女はその言葉を聞き、目を細める。泣いているようにも見えるがその目から涙が零れることはない。
おぼつかない足取りで璃緒の方へ歩いて来ようとする。
璃緒は、その様子に応えるように彼女に近づき、抱きしめる。
再び少女は口を開く
『いつか来てくれるって信じてた』
その声は彼女の口からではない。
「ああ、ごめんな。散々待たせてしまって......」
『大丈夫、璃緒は約束を守ってくれるって』
璃緒は一層強く抱きしめる。折れてしまいそうな繊細な身体。しかし、そこにはあの日確かにあった温もりはない。
璃緒は、懐から指輪を取り出す。
『指輪......』
目の前の少女が口を動かすと、指輪からか細い声が聞こえてくる。
「そう、あの日君にあげた指輪だ。......此処に来るまでずっと考えてた。このままずっとそのままにしておきたいとも思った。今君の姿を見た時も......もしも、このままにできればずっと君の傍に居られるんだって」
『......』
「でも、このままでは駄目なんだ。どんなに君の姿のままでも......もう、君を生き返らせることはできないんだ」
『知ってる』
少女は優しく微笑む。
『私はあの日死んだんだよね。その指輪に......私の魂をあげる代わりに璃緒を助けてってお願いしたんだよね?はっきり覚えてる』
「......」
『何でそんなことしたんだって璃緒だったら怒るよね。......でも、その時はそれだけで頭がいっぱいだったんだ。理屈じゃ説明できないよ......』
「馬鹿だろ......」
『そうだね、きっと馬鹿だと思う』
「......でもきっと、俺が逆の立場なら同じことをした」
『知ってる。そして私も璃緒みたいにあちこち探し回ったと思う』
「俺がもっと早く指輪のことに気付いていれば......」
『過ぎ去った時間は帰ってこない。いつも璃緒はそう言ってたでしょ?これが神様の思し召しならそれが私は喜んで受け入れるよ』
少女はそっと、璃緒の手に手を添える。
『迎えに来たんだよね?』
微笑む少女の眼差しは、あの頃と全く変わらない。優しい色をしている。
璃緒は添えられていた手をとる。
「カピトーリナの者として、死んでなおこの世界をさ迷う者に慈悲を。在るべきものを在るべき場所に還す」
指輪をそっと少女の薬指にはめる。指輪の石から淡い光が零れ、少女を静かに包み込む。
「指輪に封じられていた魂を身体に戻した。でも......君はもう生まれ変わることが......」
『知ってるよ。肉体は朽ち、魂も指輪に力を与えたから......。魂は跡形なく消えて、生まれ変わることも、ヴァルハラにもニブルヘイムにも行くことは叶わない。指輪が教えてくれたよ。待ってる間、ずっとずっと考えて、ずっと自分に言い聞かせてきたことだから......大丈夫』
「サリナ、俺は......俺は最初に会ったときからずっと。ずっと......君のことが」
ふわっ、と一際大きく光の粒が膨らみ、少女の身体を覆い尽くす。
そして、弾けるようにそれはあたりに広がり、そして消えた。
その中にはもう、少女の姿はない。璃緒が一人、両膝をつき空を見上げていた。

群雲と、サリナを保護していた司祭は璃緒達の様子をやや離れた場所で見つめていた。
司祭は静かに璃緒の近くに歩み寄ろうとしたが、群雲がそれを引き止める。
「すみません。あとほんの少し。あのままにしてやってください」
渇いたラヘルの空、その青は先程まで目の前に居た優しい微笑みの少女の瞳と同じ色。
その青は数年間、宙に浮いたままだった思いに静かに染み込んで来る。
そう思ったとき、その青はじわりと水の色で滲んだ......。


司祭に丁寧にこれまでサリナを保護してくれていたことに礼を言い、2人は斜陽亭に戻って来る。
「おかえり、璃緒」
出迎えた泉水と緋汐はまるで何事もなかったかのように、いつも通りの様子だった。
「少しだけ......一人になりたいんだ。いいかな?」
ぽつりと呟く璃緒に泉水はただこくりと頷く。
「緋汐、群雲。色々買い出しをしたいんだ。手が足りないから手伝ってくれないかな?」
2人も泉水の意図を察しているのだろう。承諾する。
「じゃあ、璃緒。留守を頼むよ」
そう言って斜陽亭の外に出る。
3人を見送り、璃緒は自室に戻る。
そこでようやく彼は大切な者の「死」んだことへの思いを吐き出すことができたのだった。


数日後。
「以上が今回の『冥界の指輪』事件の顛末です」
薄暗い執務室。その奥の机に座る人影に静かに報告をあげるのは群雲。
「そう......。指輪は?」
奥から聞こえる女性の声。ソフィアは報告書を眺めつつ、群雲に尋ねる。
「ラヘルのアンデッドを解放した後、その足でニブルヘイムの王の元に返還しました」
「指輪も在るべき場所に......ということね」
群雲はこくりと頷く。
「運搬中に運搬を任された者が紛失したものだったそうです。それを偶然璃緒の両親が拾ったというところでしょう。泉水の祖父の日誌にはそのように記録されています」
「この世界には侵してはならない決まりごとがあるわ。ヴァルハラのヴァルキリーも、ニブルヘイムの王もそこは共通して固持している。それはこの世界の境界線を成すもので、崩れれば全ての世界が壊れていってしまう」
「......」
「なのに、どうして人間ってその境界線を壊したいと願うんでしょうね?不思議な生き物だって思うわ」
「ヴァルキリーもニブルヘイムの王も永遠といえる存在。でも人間は永遠にはいられない。無い物ねだりなんだ、って俺は思いますよ」
「......そうね、そうかもしれない」
ソフィアはぽつり、と呟く。
「フォレスト......、可哀相な人......」
俯くソフィアに群雲はそっと近づき、優しく宥めるように肩を撫でる。
「彼もまた人だった。それだけです。きっと......」


それから数年の月日が流れ......。
「璃緒!いつまで寝てるんだ!」
さんさんと太陽の光が降り注ぐ森の中、大きな怒鳴り声が響く。
「だって天気いいんだもん!」
「そろそろお前は修羅の自覚くらい持てっつの!」
「そういう紅騎は何時になったら修羅になるんだよ!」
「そんな露出狂一歩手前の衣装なんか着れるか!」
「どうせウンバラだったら周り皆変わらないだろ!」
バンジー台からほど近い小さな家で、男2人が漫才じみた言葉の応酬を続けている。紅騎と璃緒だ。
紅騎はチャンピオンの姿のまま変わらないが、あたりに超人の域に到達したことを示す淡い光―オーラ―を漂わせている。
一方璃緒は、墨染めの衣装を腰に巻き、上半身を露にしている。近年現れた、修羅と呼ばれる存在だ。
「あの日」から、全てを忘れるように修行に没頭した結果、チャンピオンの先、修羅になることができた。
一般論から言えば修羅の方が格が上のはずだが、どうやら紅騎の方は修羅への転職を拒み続けているらしい。
「修羅になれば点穴使えるだろ。紅騎も使えるようになればいいじゃないかぁ」
「何いってやがる、修羅つったら身弾選ばなくてどうすんだ」
「結局そうなるのか、狩りバカ兄弟子!」
「兄に向かって馬鹿と言うのはこの口か!?」
「馬鹿は馬鹿だろ!」
「おーう、櫓から落っこちた奴を保護してきたんだけど見てやってく......お前らまーたやってんの?」
診察室の扉を開け、ずかずかと怪我人らしき人間を肩に担いで入ってきたのは、これもまた修羅。よく日に焼けた浅黒い肌と、特徴的なペイントはこのウンバラに住む民であることを伺わせる。
喧々囂々と言い合っている2人を見て、修羅はにしし、と笑うだけで患者らしき人間を寝台に横たえ、
「じゃあ宜しくなぁ。俺まだ森の見回りがあるから」
と、ひらひらと手を振り、部屋を出て行く。
「ほら、患者だ。キリキリ働けよ璃緒!」
「言われなくてもわかってるよ!湯を汲んでくる」
相変わらず言い合いながらも診療を始める2人に、寝台に寝かされた患者は、不安げな表情を浮かべたのだった。